2016年1月6日水曜日

SLGと「超訳 クラウゼヴィッツ『戦争論』」:その1

兵頭二十八師の『新訳 戦争論』の文庫本が発売されました。タイトルは『隣の大国をどう斬り伏せるか 超訳 クラウゼヴィッツ「戦争論」』 です。同書は、数ある兵頭本のなかでも最も好きな本で、これまでに5回再読――手前は一度読んだ本を再読するのが大嫌いです。どれくらい嫌いかというと、アガサ・クリスティの『アクロイド殺し』を再読しなかったくらい――しています。で、このたび6回再読したところで、感想とか読みどころなどのエントリを書くつもりだったんですよ。でも、あまりにも好きすぎて、一歩引いて分析するのがなかなか難しいので、今回は、再読しながら思ったことを、つらつら書いていきたいと思います。

だったら何について書くのか? といえば、「コンピュータゲームにおける戦争の取り扱い」のこと。すなわち、『大戦略』や『信長の野望』から『Total War』『Victoria2』といったシミュレーションゲーム(以下、SLG)において、現実の戦争を再現することへの挑戦とか困難とかについてですよ。

SLGにおいて、戦争を再現できるのか?

この問いへの答えは「不可能」です。理由はハッキリしています。戦争における諸々の精神力のありようを、ゲームに置き換えられないからです。

「いやちょっと待て。それは<士気>で置き換えられるでしょ」

ちょっとでもSLGをかじったことのある人なら、↑のようにつっこむことでしょう。確かに戦場における部隊の強さなんかは、古くから<士気>の高低で表現されています。しかし、戦争状態にはいった銃後の怒りや諦観などまで数値化できるかというと、これは難しい。その理由について、『隣の大国をどう斬り伏せるか 超訳 クラウゼヴィッツ「戦争論」』より引用します(以下、特に断りがない限り引用書籍は同書となります)。

――敵国の軍事的な抵抗力は、計測できるだろうか? これは数学的な意味では不可能だ。理由は、そこに無形の要素、たとえば「意志の力」「憎しみの力」などが、かかわるためだ。おかげで、ニュートン物理学のように綺麗に、「これだけ兵数で上回ったなら敵軍に必ず勝てる」などと論証することは誰にもできない。せいぜい言えるのは、「敵より有形的にも無形的にも強ければまず勝つだろう」「有形的に敵より少数であっても、無形の力が敵よりも著しく発揮されたならば、勝つかもしれない」ということである。当然に、敵もまたこちらに対抗して自由に努力を積みませる。

 なかんずく、無形要素の喚作には互いに上限というものはない理屈であるから、「こちらとしてはできる限り準備をしたうえで、特に気勢は充実させて臨むべし」といった、はなはだ文学的なアドバイスに落着させざるを得ぬ。残念だが、学問的には、この辺が誠実な総括だ。――(46頁)


実際、無形の力を数値化しようにも、互いに際限なく上積みできるものは数値化のしようもないんですね。10段階だろうか0から65535までだろうが、上限を決めた時点で、無形の力を再現しきれていないわけですから。

このように説かれても、「いや、そうはいったってどんな要素も数字に置き換えることは不可能じゃないでしょ」といいたくなる人も多いかと思います。例えば国民感情を10段階で表すことにして、10だと補給物資などが増え、部隊が強くなり、0だと逆になると設定。そのうえで自国の中核的領土に敵軍が侵入したら、国民感情が0から7とかに上がるようにすれば、クラウゼヴィッツのいう無形の力を表現できるんじゃないか? という反論もあり得るでしょう。

こんな指摘には、再度、引用で答えたいと思います。

――およそ、政治的目的が、戦争の動機なのである。しかし、その政治的目的なるものは、数値化できず、数学的計測にもなじまない。そしてまた、<政治的目的が大きく高くなるほど、戦争努力もそれにつれて猛烈なものになる>とも決まっていない。

政府の追及する政治的目的に、その国民大衆が深く同意しているときは、戦争のなりゆきがいかほど不利で苦しいものになろうと、その政治的目的は放棄されないだろう。

~~中略~~

乾燥した火薬の詰まった樽の一隅に火がついたら、瞬時に全体が燃えつくさないことなどあろうか。しかし、戦争はそのようなシンプルな、外力が介入しない化学変化過程とは違っている。戦争の火勢は、途中で衰えたりしずまったりするだろう。いつまでも燃え続けることもあれば、じきに消えることもある。――(50~55頁)


戦時下における各国家の指導者、軍、銃後の感情、士気、精神力etcは、会戦の勝敗、戦争の長期化などの展開により、ダイナミックに左右されます。が、「会戦に大負けしたら、必ず指導者の士気は激減する」とか、「戦争が長引いたら、必ず銃後に厭戦感情が沸き起こる」というわけではありません。場合によっては全く逆になることもあれば、大して変わらないこともある。偶然や些細なイベントによって劇的に変化することも少なくない……。つまり、「誰にも予測できない=シミュレートのしようがない」ってことです。

(つづく)





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