2014年4月30日水曜日

「敵の本質」と「本当の脅威」を知るために読むべき本

何のハナシかといえば、兵頭二十八師が4月8日に上梓した文庫『北京が太平洋の覇権を握れない理由』(草思社文庫)のことですよ。この本については新刊発刊の際に取り上げたので、目次とおおまかな内容紹介については、2年前のエントリを参照してください。尖閣諸島を巡って日中関係がきな臭くなりっぱなしの今日において、「日米中の軍事力及び外交関係の見積もり方」とか「戦争が起きるとすればどうなるのか?」を予測する本としては、本邦一級品のモノであることは間違いありません。

なぜそんなことを確信を持って言えるのか? と言えば、これはもう敵である中国(=シナ)の本質について、誰よりも、どの本よりも正確かつ簡潔に定義づけているからですよ。

ではその本質とは何か? 文庫本より引用しましょう。

「『対等の他者』などを認めていたら権力は決して生き残れない――というのは、シナの独特の地理がはぐくんできた儒教圏の歴史哲学である」(35頁)

この60字ちょっとの文章。これがシナの本質ですよ。つまりシナにおいては人と人、国と国は決して対等ではなく、必ず序列が存在するものであって、そこに生きとし生けるものは才知の限りを尽くして「他人、他国よりも上の序列を目指す」ものである――とってことです。

で、このシナの本質の解題は以下のとおり。

「シナの地理は、『主権の割拠』の何世代もの固定をゆるさない。これが西欧とシナの政治気風、法哲学観を、まるっきり異なるものに決定した」
「秦の始皇帝以降のことだが、ベトナム以北、そして高粱や豆や芋を栽培できる満州以南のシナ本土では、中小国の『割拠』が、長続きせぬ」
「シナは、単一権力が全域を統べなければ決して安定できないような地理条件が備わった空間らしい――と、その理由は未解明ながらに仮定をしておけば、春秋時代から国共内戦に至る既往の『王朝交替』の説明に、とりあえず矛盾がない」
「主権の割拠が不可能だということは、二つの正義が並び立つことはふつうではない、という世界観を住民のあいだに育てる。強い者がいずれ全域の『正義』を収攬する。ならば、いま、他人の権利を尊重しても、むなしいことだ。将来もしその他者が強くなれば、こっちがすべてを奪われる立場に落ちるだけなのだから」(35頁)

「広い地域が次々と単一の専制君主によって支配されるという歴史を反復してきたことで、『支配者が変われば、どうせルールも変わってしまう』『権力者の恣意的なルールの押し付けに対抗して弱者が自衛するには、密かに巧妙に『脱ルール』を図るのみ』『どうせ永遠のルールなどないから、尊重しなくてよい』といった精神風土もできあがったのだ」(36頁)

「地理はなかなか『流転』するものではないので、大陸部にできる将来のシナ政府はやはり『民主主義』を拒否するだろうと簡単に予言しておくことができる」
「国防コストが高い地理のため、シナ政権にとって『上からの人民統制』は絶対に必要であり、それでも治安コストが高いので、『法治』よりも『人治』が有効になる。すると人民は政府を信用できず、政府もまた人民を信用できない」(37頁)

以上、「Ⅰ なぜ太平洋の支配権が二強国の争点となるか」の「地理が『人性』と『政治風土』を決定する」より、ちょっと長めの引用です。

この「地理が政治を決定する」というハナシは、権力の定義と同じく、軍師がデビュー当時から唱えている説で、実のところ既刊で幾度も言及していたりするものです。が、↑のようにここまで簡潔かつ明快に書いているのは、この本しかありません。

この『対等の他者』が存在しないという儒教圏特有の哲学は、『対等の他者』を認め合うことを前提とした近代啓蒙主義(=キリスト教)が骨の髄まで染み渡っている西欧諸国(=先進国)の人々や、聖徳太子以来、この哲学を拒否し続けた結果、近代啓蒙主義をすんなり受け入れた現代日本人にとっては、なかなか理解できないことなんでしょう。

そんな人に対して、この哲学の要諦を手前なりに説明するなら――

ホラ、アメドラってさ義理の兄貴とか先輩に対しても、よく「Hey bro!」って呼びかけるじゃん。あれって“年は離れてても対等の同士”ってな感じのニュアンスでしょ。『ヘンリー五世』の『聖クリスピンの祭日の演説』からタイトルを引用した大傑作戦史ドラマ『Band of Brothers』だって、対等の同士、同胞って意味でしょ。これすなわち「対等の他者」ってやつ。

でね、『仁義なき戦い』で梅宮辰夫が菅原文太に言う「よう兄弟!」ってのはさ、もう完全に「辰夫が上で文太が下」ってニュアンスじゃん。そうこれ、これこそが儒教圏特有の「対等の他者が存在せず、必ず序列をつける」ってやつなのよ。任侠の世界なんて儒教道徳にどっぷり浸かってるからね。もっといえば三国志の劉備、関羽、張飛だって、初手から長兄、次兄、末弟って序列をつけていて、『聖クリスピンの祭日の演説』でいう「ここに居る我々は兄弟の一団だ。今日私とともに血を流す者は、私の兄弟だからだ」っていう“同士感”ゼロじゃん。こういうふうにね、ともに血を流す同胞間でも序列を付けざるをえないのが、儒教圏特有の哲学であり、シナの政治風土であり本質なのよ

――って感じになるでしょうか。

ともあれ、このように敵の本質、脅威の本質を的確に指摘し、抉り出した上で、その対処法をあますところなく書き尽くしている本が、税込みでも1000円以下で買えるンですから、ここれはもう買わいでか! ってものでしょう。

ちなみに追記(24ページ分)では、北朝鮮の張成沢一派粛清の背景から、直近の米中関係を巡る考察まで取り上げているので、新刊を3回位通読してしまったダイ・ハードな兵頭ファンにとってもお買い得感のある本だったりします。

ともあれ手前は、韓国は仏像を返還すべきであると思う。

追記:シナで割拠が固定化しない理由について、手前は「チベット、モンゴル方面に海がない」ことが一番大きな要因じゃないかと考えています。旧大陸における地中海のような内海があり、大陸にくまなく海岸線が存在すれば、通商により小国でも十分な武装ができ、割拠も固定化できるのではないか? とぼんやり考えてはみるものの……ただの思いつきで根拠薄弱だからなぁ。まぁ、“パラドゲー脳”のおっさんの繰り言ですよ。

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