2013年1月4日金曜日

ウェールズ王国通信(CK2日記):その8

さて、幼君である。ただでさえ膨張しまくり、しばしば反乱の起きる2つの王国を、誰からも舐められる幼君がきちんと治めきれるのか? それとも大規模な内乱が勃発して、王国がバラバラになってしまうのか? 先代の曾孫であるカラドック2世の初手は――

・廷臣であるイーステン(先代が人材不足の際にどこからか招いた貴族)をダベット伯爵に任ずる
・新たに招いた廷臣ブルートをソーモンド伯爵、マンスター公爵に任ずる
・先代が投獄した捕虜の無条件釈放(家臣、廷臣の評価+10)
・宰相をアルスター女公爵グウェン1世(カラドック2世の実母)との関係改善に向かわせる

――というもの。幼君なので息子もおらず、親しい親族(実母でさえ国王の権威を貶める陰謀を企てているくらいなので、他の親族など仇敵同然)もいないので、管理しきれない領地は廷臣に分け与えた。もちろん、反抗的な公爵に与えて懐柔してもいいんだけど、拡大した領土をベースに力をつけられても困るのでね。

現時点における最大の脅威は、4つの州を持つ2王国最大の勢力であるアルスター女公爵グウェン1世。現時点でほぼ国王と同じくらいの動員力を持っているうえ、実家のあるスコットランド諸侯やコノート公爵とも同盟を結んでいるため、反乱を起こされたら負ける可能性が極めて高い。先代は、この野心家な孫の嫁への対策として、フランス王国とギャロウェイ伯爵との同盟を頼りにしていたものだけど、代替わりしたとなっては同盟もなくなるし、再び婚姻同盟をしようにも娘もいない――という状況なので、ここはひらすら懐柔&忍従。

即位から1カ月後、ミース公爵が反乱。他に同調する動きがなかったので、いそいそとこれを鎮圧しに向かい、1年で勝利をもぎ取る。その後は、お金が貯まれば諸侯に贈り物をするなどして、慎重に懐柔工作を続け、君主が成人するのをひたすら待つ。

1240年、カラドック2世が成人。適齢期の娘のなかで最も管理能力が高く、特性もマシだったドイツ貴族の娘と結婚し、9つの領土まで支配できる体制を整える。ここで満を持して実母であるアルスター女公爵グウェン1世を「国王の権威を貶める陰謀を企てた罪」で逮捕することを決心。捕縛失敗→内戦を覚悟したものの、アッサリと投獄することに成功。どさくさ紛れに横領していたオリエル伯爵の称号を剥奪した後、地下牢に移して獄死させる。実母をぶっ殺しておいてなんだけど、いやぁ~せいせいした!

同年、オーソリアン州一つで頑張っていたブルターニュ王国に宣戦布告(アイルランド王の慣習的要求権を行使)。貯めに貯めた金で雇った3つの傭兵部隊に強襲させまくって1カ月で降伏に追い込む。これで一時期、ブルターニュ半島とアイルランドの半分に勢力を伸ばしていたブルターニュ王国は滅亡。我らがディネフィール家がウェールズとアイルランドを完全に統一した。

と、順調に進んでいるかのように思っていたら好事魔多し。どこの馬の骨ともわからない貴族にマンスター公爵を任せたのがまずかったのか、デズモンド伯爵が自らの持つマンスター公爵の要求権を行使。家臣同士の内戦の結果は、デズモンド伯爵がマンスター公爵を奪う結果となり、マンスター公爵領(アイルランド南部3州)が独立してしまった。

当然、こんなバカなハナシを看過できるわけもないので、アイルランド王の慣習的要求権を行使してマンスター公爵に即刻宣戦布告。以下、年表モードです。

・1241年:マンスター公爵との戦争に勝利。ソーモンド州を獲得
・1248年:マンスター公爵領で内戦勃発。マンスター公爵が代替わりする。結果、休戦協定が雲散霧消したため、即刻マンスター公爵に宣戦布告
・1250年:マンスター公爵との戦争に勝利。オーモンド州を獲得
・1251年:ミース公爵が反乱。スコットランドでの戦闘でミース公爵エムリス1世を捕虜とし、即刻処刑。
・1253年:ミース公爵の反乱を鎮圧。

と、いろいろあって、さてこれから本格的な外征に行くぞ! と勢い込んだ1258年、なんとカラドック2世が35歳の若さにて崩御してしまう。死因は自然死だけど、まさかこんなに早く死んでしまうとは……。ディネフィール家って長命の家系じゃなかったのか? って、カラドック2世の顔をよくよく見れば、下膨れで母親の血が優った感じだったからなぁ。ともあれ、2代続けて幼君の代替わりってのはどうよ? 代替わりの準備を微塵をしていなかっただけに、今度という今度は本当に大乱が起きそうだなぁ。





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