2013年1月3日木曜日

ウェールズ王国通信(CK2日記):その7

王国は、作るよりも維持することが難しい。支配領域が10を超え、配下に複数の公爵を抱えるようになると、彼らの反乱が怖くなるもの。

「そんなんなら全部の領地を自分で面倒みればいいのに」って? この時代、通信は早駆けの馬、複式簿記の概念すらなく、官僚の代わりに召使いがどんぶり勘定で家計を握っていたような時代において、海を越えた向こうどころか、山を越えた向こうの支配地域まで王様自らが面倒を見るなんて不可能だったわけですよ。

つまり、支配地域が増えれば、これを納める代官を置く必要があり、代官を置けば彼らが勝手に税金を取りはじめ、終いには私兵を養う――ということは帝政ローマからの伝統で、彼らが機嫌を損ねれば昂然と王家に反旗を翻すなんてことになる。で、代替わりした今こそが、まさにその時ということ。

*この君主の支配地域について『CK2』では、君主とその妻、家令の管理能力と、国内文化のレベルに応じて支配地域の多寡が決まるルールになっている。君主の管理能力がゼロ同然なら4つの領地しか直接支配できない。といって、君主&妻の管理能力が高く、家令に優秀な人物を置いても10の領地を支配できるかできないかくらいのもの。もちろん全ての領地を直轄地することも不可能ではないけど、実際にやってみると税金を取りっぱぐれたり、何より家臣からの反感(=君主が領地を持ちすぎている)を買い、王国支配もままならなくなってしまう。

王国の後継者であるソーモンド伯爵カドラックにして、自分に対する評価は「-77」。性格的に合わないのは仕方がないとしても、短い統治、強力な国主の権威、称号の要求に対する不満だけはいかんともし難い。しかも、彼の評価は家臣のなかでもまだマシな方で、他の家臣(直轄地の市長、司教を除く)は全員、代替わりした老いぼれの王様を舐めていて、いつ反乱を起こしてもおかしくない状況にあったりすると。なもんだから、ちょっとでも彼らを刺激したら一斉に牙を向き、ウェールズ王国継承戦争という名の大乱がおっ始まると。

代替わりしたマレドゥド2世がすべきことはただ一つ。累卵の危機にある2つの王国の安定化を図ることしかない。外征? そんなものは飾りです。エライひとには(略。

というわけで、即位初日に打った手は――

・先代が投獄していたグラモーガン伯爵を無条件で釈放(家臣全員からの評価+10)
・後継者であるソーモンド伯爵カドラックをデハイバース公爵に任ずる(カドラックから評価+140)
・アルスター公爵領の伯爵全員に贈り物(3人の伯爵からの評価+25~40)
・領地を持たない次男フラーガンをレーンルウィ教区の後継者に指名(後継争いの種を摘む)
・ミース公爵を元帥に任命(ミース公爵からの評価+20)
・宰相はミース公爵との関係改善工作を開始

――というもの。これにより明確に叛意を抱くアルスター公爵のカーダフ1世以外の公爵&伯爵を懐柔。あとはカーダフ1世を挑発して反乱を起こさせ、これを鎮圧すれば王国も安泰なはず。

で、すでに「国王の権威を貶める陰謀」を企てていたカーダフ1世の捕縛を命令。投獄に失敗すると、領地に戻ったカーダフ1世が反旗を翻した。ウェールズ継承戦争の始まり始まり。

といっても、事前に反乱の芽を念入りに摘んでいたため、アルスター公爵領以外の諸侯は反乱に同調せず、他国からの介入も防いだ(この日のためにスコットランド王国とフランス王国との婚姻同盟を継続させていた)ため、戦争自体は当方に優勢のまま3年で終了。カーダフ1世を獄につないだ。もちろん処刑したり公爵の称号を剥奪したいところなんだけど、それをやっちゃうと他の諸侯からの反乱を招きかねないので忍従する。その代わりといってはなんだけど、5年後、獄中で密かに暗殺してやった。

ウェールズ継承戦争終了から1年後の1204年、国を挙げての武芸大会を開催。全諸侯&廷臣からの評価+10を得たところで、代替わりの危機は去ったと安心する。

以下、年表モード。

・1206年:ブリフネ州に対する慣習的要求権(以下、全ての慣習的要求権はアイルランド王としてのもの)を行使して、コノート公爵へ宣戦布告
・1207年:戦争に勝利。ブリフネ州を獲得
・1215年:オーモンド州に対する慣習的要求権を行使して、マンスター公爵へ宣戦布告
・1216年:戦争に勝利。オーモンド州を獲得し、マンスター公爵の称号を簒奪
・1217年:コノート州に対する慣習的要求権を行使して、コノート公爵に宣戦布告
・1218年:戦争に勝利。コノート州を獲得。同年、後継者であるデハイバース伯爵カドラックが反乱。
・1220年:フランス王国の参戦もあって戦争に勝利。カドラックを投獄、ソーモンド伯爵の称号を剥奪(3年後、獄中の待遇改善の訴えを聞いた上で、地下牢に移し、獄中死させる)
・1221年:レンスター州に対する慣習的要求権を行使して、ブルターニュ王国へ宣戦布告
・1223年:ブルターニュ王国がスコットランド王国との戦争に敗北。レンスター州を巡る戦争の決着は曖昧なまま終戦
・1224年:マレドゥド2世、“老王”の異名を獲得。再びブルターニュ王国に対して宣戦布告
・1225年:戦争に勝利。レンスター州を獲得
・1227年:デスモンド州に対する慣習的要求権を行使して、デスモンド伯爵へ宣戦布告
・1228年:戦争に勝利。デスモンド州を獲得

こうしてアイルランド統一事業に取り掛かっている最中の1230年、“老王”マレドゥド2世が崩御。幼君であるカラドック2世(獄中死させた長男の孫)が即位した。マレドゥド2世が即位したときよりも広い領土で、かつ、王様が誰からも舐められる幼君となると、こりゃ今回は本格的な内乱が発生するかもなぁ……。






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