2013年1月2日水曜日

ウェールズ王国通信(CK2日記):その6

・1146年:アルスター州の要求権を持つ妻を暗殺。領地を持たない次男アーストに継承された要求権を行使して、アルスター公爵に宣戦布告。
・1147年:アルスター公爵との戦争に勝利。次男アーストをアルスター伯爵に任ずる。あわせてタイロン州にて要求権捏造工作を開始。
・1153年:マレドゥド1世崩御。この世代での要求権捏造はナシ。国力増強と蓄財に専念した短い治世だった。
・1154年:カラドック1世、アルスター公爵領、オリエル州の要求権捏造工作に成功。これを行使する。
・1155年:アルスター伯爵アーストが反乱。
・1156年:アルスター伯爵の反乱を鎮圧。アーストを投獄後、アルスター伯爵を剥奪。直後にオリエル州獲得を目指し、アルスター公爵に宣戦布告。
・1158年:アルスター公爵との戦争に勝利。オリエル州を獲得。なお、アーストは1157年に大流行した肺病を患い、獄中死。
・1160年:カラドック1世自らが持つダブリン州の要求権を行使して、ブルターニュ公爵に宣戦布告。ナバラとの戦争中の隙を衝く。
・1162年:ブルターニュ公爵との戦争に勝利。ダブリン州を獲得。直後にアルスター公爵の称号を簒奪。同公爵の慣習的要求権を行使して、ティローン伯爵に宣戦布告。
・1163年:ティローン伯爵との戦争に勝利。ティローン州を獲得。直後にミース公爵の称号を簒奪。
・1164年:アルスター公爵の慣習的要求権を行使して、ティアコネル伯爵に宣戦布告。
・1166年:ティアコネル伯爵との戦争に勝利。ティアコネル州を獲得。次男のデウィをアルスター伯爵兼アルスター公爵に任ずる。
・1170年:ミース公爵の慣習的要求権を行使して、キルデア伯爵に宣戦布告。
・1171年:キルデア伯爵との戦争に勝利。伯爵を家臣とする。同年、廷臣アーグネスの要求権を行使して、オッソリアン州を獲得すべくブルターニュ王国に宣戦布告。
・1174年:3年に及ぶ戦争は、同盟国であるフランス王国の参戦もあって辛くも勝利。廷臣アーグネスをオッソリアン伯爵に任ずる。これによりアイルランドにおけるブルターニュの覇権を減殺。
・1175年:キルデア伯爵エドウィン2世が反乱するも、スコットランドでの戦闘でエドウィン2世が戦死。決着が曖昧なまま終戦。
・1177年:ウェールズ王国の法律改正。聖職者の自由叙任法を制定。同年、カラドック1世が“老王”の異名を獲得。
・1184年:キルデア伯爵がミース公爵の称号を簒奪した後、反乱。
・1185年:ミース公爵の反乱を鎮圧。投獄後、キルデア伯爵の称号を剥奪。
・1196年:領地の持たない孫息子カラドック(長男の長男。王位継承順位2位)の持つソーモンド州の要求権を行使して、マンスター公爵に宣戦布告。
・1197年:マンスター公爵との戦争に勝利。カラドックをソーモンド伯爵に任ずる。
・1198年:アイルランドにおける覇権を確かなものとしたことにより、「アイルランド王」の称号を創設。ここにアイルランド王国建国を高らかに宣言した。
・1200年:“老王”カラドック1世崩御。マレドゥド2世即位。

――こうして年表モードで書いていくとさすがに味気ないね。でも、細々と書いていったら時代小説みたいな大部になっちゃうからしょうがない。50年近くに渡ったカラドック1世の治世は、アイルランド北部~中部を巡る国盗り合戦に終始した。これだけ戦争を起こせたのも、グウェン1世とマレドゥド1世による巧みな婚姻政策により、アイルランド各州の要求権を得ていたがため。12世紀中にウェールズ、アイルランドの二カ国の王の座を得たディネフィール家の次なる目標は如何に?





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