2012年8月14日火曜日

J-POPとネトウヨとアジアは一つじゃないことについて

昨日は「日常雑記風に書くことにする」と書いておきながら、結局、『Fallout3』のことしか書かなかったので、今日こそは『Fallout3』や『Skyrim』以外のことも書きますよっと。

先週、出張帰りの汽車(って特急電車なんだけどさ。思わず汽車って言葉が出てきてしまうわね)で取引先の人と話しているうちに、J-POPについての話題になる。で、取引先の人曰く――

取引先の人:都築さん。J-POPの歌詞がしょうもないっていうけど、あれはあれで彼女たちの心情を的確に表しているんです。

都築:コンビニやネットカフェで流れているのを聞くくらいで偉そうなことはいえないけど、それにしても「会いたい」ばかりで芸がないじゃないですか。西野カナでしたっけ? これは2chのコピペで得た知識ですけど。

取引先の人:都築さん、もしかして「会いたい」ってのを言葉通りに受け取ってませんか? それは間違ってますよ!

都築:「会いたい」って歌っているのであれば、「ああ、彼女は彼に会いたいんだなぁ」としか解釈のしようがないじゃないですか。

取引先の人:それが間違ってるんですって。彼女たちの書く「会いたい」という言葉は、イコール「やりたい」ですよ。やりたくてやりたくて仕方がないという若い性を持て余している心情を、ダイレクトに歌っているんです。

――と、車内で恥ずかしい思いをしつつも、実にタメになるハナシを聞く。

最近のJ-POPは良く知らないけど、松田聖子が歌っていた「あなたに会いたくて」(だっけ?)って歌のサビも、取引先の人の解釈通りに受け取れば、「あなたとやりたくて、やりたくて、眠れぬ夜は」となるわけだ。なるほど、「会いたくて」では良くわからなかったけど、「やりたくて」と解釈すれば、歌の意味が一発で理解できる。これは凄い! 

これからは「会いたくて=やりたくて変換ジェネレーター」を脳内にセットしておけば、つまらないJ-POPの歌詞も、少しはマシに受け取れるかも……って、もしかしてこれって若いリスナーにとっては常識なのか?

というハナシはさておき、昨日、兵頭二十八師のMIL短blogを読んでいて、遅ればせながら『SAPIO』に寄稿していたことに気づきました。早速、近所の書店に行き最新号を立ち読み……って、軍師の記事はともあれ、他の論者の記事は本当に10年前と何一つ変わってないね。ここまで進歩がないのもある種の芸なのかも。

江藤淳と三島由紀夫と漢文と改憲のハナシについては、一度落ち着いて考える時間が出来たときに書こうかと思うけど……なかなか落ち着いて考える時間がなかったりするんだよなぁ。とりわけ最近はベセスダゲームのお陰で!

ともあれ『SAPIO』が批判的に取り上げたネトウヨだけど、細かなハナシをしていくとキリがないから、誤解を恐れずに手前の考えを一言でまとめると、「ようするに『鮮人が嫌い』っていう日本人の大多数が胸に踏めている差別感情を、明け透けに表明している人たちでしょう?」となる。彼らの99%は反中、反米傾向はあっても、嫌中、嫌米じゃないしね。

手前は、文明人と野蛮人を分けるポイントの一つに、「ヘイトスピーチをしないこと」っていうのがあると確信してます。この点から言えば、手前にとってネトウヨ諸君は野蛮人としか言いようがない。ただ、ネトウヨを蛇蝎の如く嫌う人等にしても、韓国/朝鮮人に対して不当な優越感を抱き、かつ、これを歪みきった形で表出させてるからね。

それこそ韓国/朝鮮人に対する優越感があるからこそ、「従軍慰安婦」みたいな明らかなデマ――2012年の日本に韓国人売春婦(ちなみに顔は整形済みで、イメージ写真はどれも同じ顔)が跋扈しているように、1940年代の日本(北は樺太から南はビルマ、ニューギニアまで日本領)各地にも朝鮮人売春婦がいたというだけのハナシ――を広められるわけで。

「日本人より劣っている韓国/朝鮮人を、我々の手で助けなければならない」「韓国/朝鮮人が日本人と同じ位置に立つためには、劣った韓国/朝鮮人を“引き上げる”のではなく、優れた日本人を“引き摺り下ろす”のが手っ取り早い」という、彼らにとっては崇高な使命感に則ってやってることなんでしょう。

つまるところ、ネトウヨにしてもお花畑な社会主義者にしても、根っこにあるのは差別感情であって、その出し方が明け透けであればネトウヨになり、歪みまくればお花畑な社会主義者になるということ。

そのうえで手前の考えを言うなら、「韓国/北朝鮮はたまたま隣国なだけであって、トンガやルクセンブルク、エジプトと同じ外国なんだから、諸外国と同じように対応すればいいじゃん」。アジアは一つ? 日韓は同胞? そもそも宗教が違うのに一つも同胞もないでしょ? アンタはイスラエルとシリアにも同じことが言えるのかっての。

という観点で考えれば、韓流を不必要に嫌う必要はないし、不必要に好む必要もないし、つまるところコンテンツ自体の良し悪しで判断すればいいだけのハナシ。竹島の問題についていえば、「大統領の上陸=戦争挑発」であることは明らかなので、この挑発に対する相応の報復をすればいいだけのハナシ。多分、ニュージーランドあたりに同じことをされたら、相応の報復をすることに躊躇う政府要人は一人もいないはず。

それが相手が韓国になると弱腰になるっていうのは、要するに↑の如き感情があるってことでしょうよ。「日本人より劣った韓国人のやることだから、まぁ大目にみてやれ」という。まずはそういう薄汚い差別感情を表に出さず(考える分には幾らでも考えていいんだから!)、「諸外国の一つ」として粛々と必要な措置をとればいいんだけど……まぁ、言っても詮のないことだわね。

あ、あと最後に一つ。江藤淳のいう「保守とは感覚である」との言葉を都合良く解釈して、「アタマが良くて勉強のできる人は左翼になり、バカで勉強の出来ない人(=感情で物事を判断するバカ)が右翼になる」って主張する社会主義者がいるけど、これって明らかに曲解だからね。詳しくは軍師のMIL短blogか『SAPIO』の記事を参照のこと。

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