2012年4月10日火曜日

<野球本メモ>「エースの資格」、江夏豊:その2

――以下、ライバルとの駆け引きと、落合との関係を中心に紹介。

・自分の場合、.250に届かないようなバッターには、アウトローのストレートを投げておけば打たれなかった。そこにヤマを張って打ってくるバッターもいたが、そういうときは構え方、目を見れば待ちがわかった。そこでインコースに投げると、相手の頭はパニックになった。

・言い換えれば、投手にとっていちばん困るのは、相手の待ち球がわからないこと。一球一球、待ち球を変えて追いかけてこられれば、80~100%かわす自信があったが、一球だけじっと待っているバッターはすごく嫌だった。

・印象深かったのは末次民夫。あと、土井正三、黒江透修もコースを決めて待っていた。落合博満も、当初は追いかけるバッターだった。81年に首位打者を獲ったときは楽な相手だったが、82年から図々しく待つバッターに変わった。

・82年、秋田でのロッテ戦。日ハム1~2点くらいのリードで9回裏二死2、3塁で、バッターが落合のケース。彼の狙いがストレートと読んで、カーブを3球投げた。落合のバットはピクリとも動かず見逃し三振でゲームセット。

「じつは、このときにバッテリーを組んでいたキャッチャー、大宮龍男のサインは、二球目までがカーブ。三球目は真っすぐでした。私が首を振ると、今度はインコース真っすぐのサイン。また首を振ると、大宮が首を傾げているのが見えました」
「わずかに間が空いたところで、落合はすかさず打席を外したんです。首を振るのを見て外したということは、『真っすぐ』と読んでいるからだと察知して、私は三球目、カーブを選択した」
「読みが外れ、勝負に敗れた落合ですが、手も足も出ないという見逃し方ではなかったし、屈辱感もなかったと思う。それが証拠に、悔しがるような素振りは見せずに、淡々とベンチに帰っていきましたから」
「私はそんな落合の姿を見て、『こいつ変わったな。次はやられるかもわからないな』と思っていたら、案の定、その年は半分ぐらい打たれてしまった」(144頁)

・打たれたヒットの多くはポテンヒットだったが、その代わり落合は狙い球を決めてフルスイングしてきた。投手にとっての絶対的な鉄則である「フルスイングをさせない」を完全に破られた。結局、落合はこの年に三冠王を獲った。

・選手生活の晩年で会った数少ない考えて打つバッターに石毛宏典がいた。石毛の場合、対戦するたびに打つかたちが違う。ランナーの有無でも違う。となると、こちらもそれに対処しなければならない。かなり工夫していると感じた。

・落合もそうだった。たとえば一死3塁で最低限外野フライを打ちたい――というときには、来たボールをなんでも当てるわけではなく、どのボールを打てばいいのかを考え、自分で決めて待っていた。

「当然、私も外野フライは打たせまいと考えて投げる。でも、どうしても外野フライを打たれる可能性のあるゾーンに投げないといけないときがある。落合もそれを見越して待っている。ここに駆け引きが生まれるわけです」
「駆け引きは初球から始まります。初球をどういうかたちで見逃したのか、そのときの場面、状況も踏まえて二球目以降が決まってくる。相手も初球を見て、次にどういうボールが来るかを考える」(147~148頁)

「駆け引きが少なくなったことで、『バッターの裏をかく』時代は終わったといえるでしょう。いまは基本的には、相手バッターの待っているボールがわかったら、その近辺に投げることが主流になっています」(148頁)

・昔は、ストレート待ちのときにはカーブ、変化球待ちのときにはストレート、外を待っていると思えば内に投げればよかった。いまは外を待っていると思えば外に投げる。その近辺にボール球を投げてバットを振らせて凡打に打ち取る。カーブ待ちなら敢えて鋭いカーブ――というのが現代野球。

・こういう野球だからこそ、球種が増えているのではないか。つまり、裏をかくだけでは抑えられなくなっているから、少ない球種では持たないということ。言葉を換えれば、完成度の低い球種でごまかしているともいえる。要するにバットを振らせるのが現代野球なのだろう。

――落合の「江夏との麻雀で打撃開眼」のエピソードの初出は、『勝負の方程式』。これ以降、多くの著作でこのエピソードを紹介している。落合が首位打者を獲れるまでに成長できたのは、故高畠導宏のコーチング(=サインとクセを読んでヤマを張る。なので畢竟、「追いかけて打つ」ことになる)があってこそなのかも知れないが、三冠王を獲れるまでに大成できたのは、この江夏との麻雀が契機だったのだろう。



0 件のコメント:

コメントを投稿