2011年9月16日金曜日

記憶を頼りに初めての大日本帝国:Victoria2日記(その2)

1877年、ダイナムに征服戦争をしかけてきたロシアに対して宣戦布告。樺太から来るだけなら防ぎようがあるけど、それ以外のところに拠点を置かれるとマズイ。というわけで第二次日露戦争が勃発。相変わらず陸軍は弱いものの、「当たらなければどうということはない」というシャア少佐の言葉通り、樺太以北の海を連合艦隊で封鎖。あわせてマラッカ海峡を南海艦隊で封鎖して、小出しに出てくる武装帆船を総計50~60隻くらい沈める。

で、沿海州で悶々としているロシアの大軍を尻目に樺太を占領。2年くらい延々と海戦で勝ちを拾っているうちにロシア側がギブアップ。樺太を手に入れることに成功。これで北方の守りはまず大丈夫か?

1880年頃、北米で第二次南北戦争勃発。早速、CSAに戦費援助。しばらく赤字が続くものの税率は一切上げない。だって金持ちだもの。でも、3年くらい続いた戦争でCSAは全てのプロヴィンスを失い、結局、USAに併合されてしまう。ほぼ20年遅れでアメリカは統一された。ロシアの脅威がなくなったと思ったらアメリカかぁ……。まぁ、ハワイと近隣の島嶼は全て大日本帝国のものだし、戦艦もうなるほどあるから、戦争指導さえ間違えなければ10年くらいは大丈夫そうだ。

といっているうちにヨーロッパではフランスによるスペインへの膺懲戦争が勃発。フランスと手を組むサルディーニャ・ピエモンテ、オスマン帝国は図に乗ってスペインのステートを掻っ攫っていた。

1884年、スペインより同盟の打診。判官びいきがDNAレベルまで沁みこんでいる大日本帝国としてはこれを受けないわけにはいかず、即決で判子を押す。直後、動員を済ませていたサルディーニャ・ピエモンテがスペインに対して宣戦布告。大日本帝国は当然、スペイン側に立って参戦。外交的には参戦する必要性は全くなかったんだけど、そこはホラ、欧州一線級の陸軍とガチで殴り合いをしてみたかったというわけで。

同盟国イギリスの港に寄りつつ1年近くかけてスペインにたどり着いた帝国陸海軍の面々。まず、連合艦隊がサルディーニャの艦隊を全て一蹴した後、スペイン全土を占領しつつあるサルディーニャ陸軍と激突。ここでも陸軍技術の遅れにより激しく損耗するも、強力なスペイン陸軍との共同作戦により全旅団を撃退。

占領地の回復はスペイン陸軍に任せ、帝国陸軍は北イタリアに上陸。サルディーニャ・ピエモンテの中核プロヴィンスの占領にかかる。といっても、要塞レベルが3とかあって全然占領が進まず、70点以上の戦勝点を稼ぐためだけに6年近くかかる。なんやかんやで戦争に勝利し、スイスを解放。って気づいたら、いつのまにかイギリスから同盟を切られていたとかorz。

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