2011年8月29日月曜日

『ゲーテの警告』、手前はこう読んだ!:オレは『B層』なのか?(その2)

「B層カルチャーが大大大好き! なんてことでいいと思ってるのか!!」

と問われたら、「いやまぁ、趣味っすから。サーセン」としか答えようがありません。だったら手前は『B層』なのか? といえば、「それはちょっと違う」といいたい。

やっぱりねぇ、B層カルチャーやB層グルメ(ここでは便宜的に「B層趣味」としておきます)が好きであることと、『B層』の住人であるかは、そのまんまイコールってことでもないと思うんですよ。まぁ、ほとんどの場合はイコールなんでしょうけど……。

じゃぁ、何の根拠があって『B層』の住人ではないと異議を申し立てているのか?

手前は、「B層趣味」を相対化できるか否かが、『B層』の住人で終わるか否かを分けるポイントではないかと考えています。つまるところ、「B層趣味」が決して“高尚”なものではないことをわきまえているか否かってことです。適菜先生の言葉でいうならば、「駄菓子は駄菓子として楽しめばいい」ってことを知っているかどうかってことですよ。

「B層趣味」が大好きと公言してはいますが、決して「B層趣味」のモノだけしか体験していないわけではありません。映画にしても“基礎教養”として体験すべきものは一通り体験して、手前なりの価値観を醸成したうえで、「やっぱり『ダイハード』はスゲェ面白れぇ!」とかいってるわけです。

*なお、この“基礎教養”のことについて書いたら、細かく書けば鼻持ちならない自慢になりますし、何をもって“基礎教養”というのかを定義づけるのも非常に面倒くさいので、ここでは端折ります。いやぁ、こういう無責任なことを書いても怒られないってのがblogのいいところだね!

要するに何が言いたいのかというと――

『ダイハード』はスゲェ面白い

このことを認められない人はかわいそう

てか、この世に『ダイハード』以上にイイ映画なんてないっしょ!

――みたいな中二病丸出しのアホなことは絶対に言わないってことですよ。

『ダイハード』より面白い映画はたくさんあるし、イイ映画――何をもってイイのか? みたいなことを言うと収拾がつかなくなる。というか、こういうことを避けるために↑のような断り書きを書いたんです――なんてもっとたくさんあるということを知識の上でも身体の上でもわかっているので、こんな感じで“おだつ”ことはないわけです。音楽については……まだまだ聴いてないジャンルも多いので、自分なりの価値観は醸成しきれてないかなぁ。

そのうえで翻ってみると、『B層』の住人ってのは、この辺のところが無反省なのではないか? てか、そもそもそのジャンルにおける“基礎教養”に当たるものを体験してないのではないか? といいたくなるような物言いをするわけですよ。これが!

「最近、手を上下に動かして唄う歌手がいます。(中略)定番のメロディに乗せて、愛だの恋だの唄うだけなのですから、もっと笑顔で楽しそうにやればいいのに、まるで大芸術を繰り広げているような深刻な顔をして唄うので、見ていてハラハラします」
「芸術家を気取るラーメン屋が『伸びる前に食え』『うちの店は餃子とビールは置いていない』などと言い出すのと同じ」
「プロ意識の欠如と芸術家を気取ることは密接に繋がっています」
「自分たちは駄菓子をつくっているという感覚がない(後略)」(94~95頁)

この適菜先生の指摘は、「B層趣味」を享受する側についても通じるものですよ。「『ダークナイト』は最高の映画」とか「このラーメン屋は1時間並んで食う価値がある」とかいう奴です。

確かに『ダークナイト』は面白いし傑作ではあるでしょう。でも、最高の映画か? という意見には、「じゃぁ、アンタはこれまでに公開された全ての映画を見て、そういうことを言ってるのか?」「そもそも何を持って最高と評価しているのか?」と問いたいところです。この問いに全く答えられない、あるいはそもそもこういうことを問われること自体が不本意、てか、なんでそーゆーひねくれた見方しかできないわけ、アンタは!(むか~しむかし交際していた女性に全く同じセリフを吐かれたことがある)みたいなことを言うのが『B層』の住人であるわけですよ。

で、そんな『B層』から必死になって脱却しようと足掻いている人については、『B層』の住人認定を免除すべきではないか? というのが手前の考えです。



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