2011年7月13日水曜日

落合博満×駒田徳広:上から叩けの是非(その2)

*以下、特に断りがない場合は、駒田徳広の言葉は『問いただす“間違いだらけ”の打撃指導』(ベースボール・マガジン社)、落合博満の言葉は『落合博満の超野球学・バッティングの理屈①』(ベースボール・マガジン社)からの引用です。なお、上記書籍からの引用部分の末尾には(駒・●頁)、(落・●頁)と表記します。

ではなぜ、駒田を教えたコーチ(これは手前の邪推だけど末次利光ではないか?)は、「バットを上から最短距離でボールにぶつけるのが理想」などという、誤解の余地を与えすぎるアドバイスをしたのでしょうか? その背景には、当時のプロ野球界で「ダウンスイングこそが最高!」という<ダウンスイング至上論>とでもいうべき打撃理論が流行っていたことがあります。

この<ダウンスイング至上論>について書き出すと、1冊の本になるくらい大変なことになりますので、誤解されることを承知の上で敢えて簡単に書きます。

なぜ、当時のプロ野球界で<ダウンスイング至上論>流行っていたのか? その理由は、日本で初めて2000本安打を打った“打撃の神様”である川上哲治の主張する打撃論だったからです。

川上は1981年に上梓した著書『悪の管理学』(光文社)で、次のように書いています。

「球が来たら目を離さないで、腰を回転してダウンスイングで打つ、というのは打撃の基本的な理屈である」(131~132頁)

もう、「米を食べるときは研いでから炊け」というくらいに、ごくごく自明のこととして書いています。この本は野球論の本というよりは、サラリーマン向けの教訓本として書かれたものです。つまり、小難しい打撃論や戦術論を書いていない本にあって、ここまでサラッと書かれるほどの“常識”だったというわけです(ちなみにこの本と、広岡達朗の『意識改革のすすめ』がベストセラーになった結果、「プロ野球の優勝監督がサラリーマンに偉そうな能書きを垂れる本」が濫発されるようになりました)。

当時から川上に対しては毀誉褒貶こそあったものの、V9監督という看板も持った“史上最強の野球人”であることは誰もが認めていました。で、そんな“打撃の神様”にして“史上最強の野球人”のいう言葉なんだから、そりゃ間違いないだろう――と、深く検証されることもないまま信じられていたといえましょう。

<ダウンスイング至上論>を信じ、これを熱心に主張していたのは川上や巨人OBに限りません。同時代の他のプロ野球OBの著書にしても以下同文というような感じでした。これを書いているときに目に入った『浩二の赤ヘル野球』(文芸春秋)は、1989年に出版された本ですが、この本にもこうあります。

「他にも学び取ったことがある。まずダウン・スイングの徹底だ。ゆるくてスーッとくる球だけに、思い切ってしゃくり上げたら、いとも簡単にスタンドに飛び込んでいきそうに思うが、いざやってみると違う」
「力めば力むほど、上半身に力が入って打球はいたずらに高く上がるだけ、左飛に終わってしまう。大事なことは実戦と同じように上からバットを叩きつけなければ、打球は飛んでくれない。お遊びでは打てないのだ」(187頁)

少なくとも80年代においては、<ダウンスイング至上論>が絶対的真理に近い扱いを受けていたということです。

そんな<ダウンスイング至上論>全盛の時代に、その総本山とでもいうべき巨人に入団した駒田が、上記のようなアドバイスを受けたのは当然といえば当然だったのかも知れません。正直、アドバイスしたコーチが「ダウンスイングとは何か?」「彼にダウンスイングは合うのか?」「そもそもダウンスイングという考え方が正しいのか?」について深く考察したとも思えません。

なぜなら<ダウンスイング至上論>は、巨人において事実上“川上教”のように奉られていたわけです(加えて当時の監督は藤田元司で、いわゆる川上派でした)。それに疑義を挟むということは異端を信奉するということであって、下手すると野球人生を棒に振りかねないわけですから。恐らくは深く考えないか、あるいは自らの理論を<ダウンスイング至上論>に都合良く解釈したうえで教えていたことは間違いないと思います。
(つづく)

追記:ネット視聴でも受信料徴収、NHK調査会が答申――よし、じゃぁまずは韓国のネットカフェから受信料を取って来い。あと、アメリカ、中国もな。「ネット視聴できる環境にある=受信料を払うべき」という理屈を通すなら、インターネットを利用している全ての人間から受信料取るのがスジだよなぁ。日本以外のネット利用者から受信料を徴収するっていうなら、ケータイもカーナビも地デジチューナーも持ってない手前だって受信料を払わないとは言わない。遵法精神に富んでるからね!





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