2011年5月20日金曜日

<絶版兵頭本>紹介@日本人のスポーツ戦略:その5

・古代5種競技の最終競技となるパンクラチオンでは、チョークを逃れるための指折り、指股割きなどはごく当たり前に行われた。スパルタでは目潰し、噛み付きOKで、記録されている最も極端なケースでは、指を肋骨の間にひっかけて皮膚を割き、内臓を掴み出してしまった選手もいたらしい。『曾我物語』の「角觝」(すまふ。相撲のこと)のシーンでも、「肋骨二三枚掴み破りて捨つべきものを」という台詞がある。

・大昔の神前試合は命がけの再試合のきかぬ真剣勝負として行われたのだろう。それも文明化とともに死亡率を減ぜられ、一方では闘牛や御柱祭のような「熱中行事」(まじめにやれば死にかねないが、自主的に危険を回避できるイベント)に変わり、他方では鍛錬中心で平時の真剣試合を避ける「武道」になった。

・グレコローマン式のレスリングは、成人同士がいくら全力を尽くしても、それで大怪我することは考えられない。しかし、戦場で敵兵にフルネルソンをかけたり、相手の肩を地面に押し付けたところで、敵兵は降参することなどなく刺し殺そうとするだけだ。そこからたとえば「剣道は重さ1.5kgの刀で敵を斬ろうとする武道なのか、それともフェンシングよりもさらに15g軽い485gの竹刀で当てっこするスポーツなのか」といった悩み深い論争も生ずる。

・「もし、身長190cm前後で、体重が最低130kg以上の、筋肉自慢の大男同士が、思い切り押したり突いたり捻ったり、絡み合ったまま土俵から転げ落ちたりして次々に本気で争ったなら、鍛えた者同士、死にはせずとも、負傷者は続出するのではなかろうか。これを15日間も続けられる今の大相撲が実は『イカサマ』をやっているのではないかと疑われるのは、自然である」(140頁)

・佐山聡氏の『ケーフェイ』(1985年)によれば、レスリングシューズで蹴ると、蹴ったほうも3日間は痛みが引かない。よって、選手が常に良いコンディションで格闘技の試合を見せることのできる最短サイクルは4日に1回くらいがギリギリであるという。日本人キックボクサーの証言によれば、1週間で痛みが取れて戦意が回復するらしい。ただし、普通は10日、たまには20日経たないと治らないこともあるという。

・若き嘉納治五郎はチビだった。予備校時代、同窓生に暴力的にからかわれ、「チビでも強くなりたい」というルサンチマンから東大1年生の彼をして柔術家の門を叩かせ、後の講道館と「柔道」を生み出した。もし、嘉納が昭和13年に死なず、昭和15年に東京オリンピックが開催され、新種目として柔道が行われたら、階級別制の競技としてスタートしなかった蓋然性はあるだろう。

・「おそらく嘉納は、海外に柔道が拡散し始める途中で、すでに『日本柔道の敗北』を予期できたはずである。要素を分解すれば、柔道は単なる着衣のレスリングに近付く。チビの嘉納が、柔道を真面目に学んできた身長198cmのオランダ人による柔道界制覇という必然の結果を見せつけられずに逝ったのは、幸せであった」(154頁)

・セオドア・ローズヴェルトも単純な柔道ファンではなかった。彼の懸念は、ボクシングやレスリングだけで柔道に勝てないなら、大統領としてその対策を考えねばならないと思ったのだ。半年におよぶ観察と実験の末、白人と日本人には体格差がまだあるので、米国人が柔道を覚えずとも、兵士になったとき不利になることはないと結論した。

・近代とは、数学を専攻するような頭脳的エリートが、大学で自発的にハードなスポーツに取り組むことが推奨される時代。ラムズフェルドもチェイニーも東部の一流大学でレスリング部に所属していた。チビの夏目漱石は、近代の全てを理解しかけていたが、ここだけは掴めなかった。

・「『K-1』の最大の貢献は、東洋人は打撃系の無差別級試合では、いくら長年まじめに道場で努力を重ねたところで、白人や黒人の身長190cmの若い用心棒に勝つことは不可能なのだよと、日本の若者に冷静に納得させてしまったことであるように、この私には思える」(166頁)

・剣道/剣術が、幕末以来の近代日本のサバイバルを助けた3つの理由。

・一つ、日本の政府要人の姿勢と目つきをよくした。外国人はその目つき物腰を見ただけで、ナメてかかることができないと悟った。能力主義は薩長だけの専売特許ではない。

・二つ、日本の知識人の肚を据えさせた。勝海舟、福沢諭吉も一見、飄然としたイメージだが、腕に覚えがあるからこそ脅しに屈せず、万事に心の余裕も持てた。

・三つ、最前線の指揮官に不屈の攻撃精神を与えた。小隊を叱咤して敵陣に突撃させる若い少尉~中尉が、もし早くから剣術を捨てていたなら、日本の敗戦はあと数十年早かったろう。そこからの復興は未だに不可能だったかも知れない。

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