2011年5月17日火曜日

<絶版兵頭本>紹介@日本人のスポーツ戦略:その2

・戦時中の陸軍や1960年以前のスポーツ界では、「汗をかくことは疲れることに繋がる。よって水を飲むのを我慢して汗を出さないのが良い」と短絡的に教訓化されていた。その淵源は、明治30~40年代の日本陸上長距離界の「脂抜き」という練習理論まで辿れる。

・「脂抜き」とは、日常において水を摂取せず、練習の走り始めは夏でも厚着して発汗を促し、走った後も水を飲まないというもの。これを何週間も続ければ体が軽くなり、楽に走れると考えられていた。最初の近代五輪マラソンにエントリーした金栗四三もやってみたが、3日目からは体温が上昇して冬でも冷水を浴びねば耐え難く、4日目で断念した。

・一方、昔から真夏の沖仲仕や造船工は、塩をなめながら作業をしていた。水も飲むが電解質も補給しているので全然問題ない。こうした知識や体験が、選手やコーチにあったならば、水を飲まないというオキテの合理性を疑うものを現れたろう。アメリカスポーツ界では、1960年代後半にはこのオキテから抜け出した。しかし、日本では80年代になってもオキテが存在していた。

・「『勝つために何が最善か』の情報は年々更新されていくのに、日本のスポーツ界では、それにリアルタイムで対応することがなく、なぜかコーチが去年と同じ練習を続けさせている。その間に、外国の選手が新知識で武装を済ませてしまうのだろう」
「おおよそスポーツのプロは読書量が足らず、読書量の多い者はスポーツでの成功を目指さない。だから大昔に誤りを正されているべき迷信的なメソッドが、半世紀以上も代々伝承されてしまうことも、スポーツ界ではよくあるのだろうと想像ができるのである」(18頁)
*都築注――これはプロ野球界においては全く正しい。原辰徳は新人時代、スポーツライターの玉木正之氏から、「原君は本を読まないの?」と訊かれ、「目が悪くなりますから」と答えている。これは原が特別なのではない。ほとんどのプロ野球選手がそうなのだ。実際、新幹線の車中で小説を読んでいた桑田真澄は、それだけで「インテリ振りやがって」と悪口を言われていた。

・リラクゼーションの単語と意義が日本に伝わったのは、60年代以降にゴルフが普及したことによる。同時に五輪強化策として外人コーチが来るようになった。日本の場合、力闘しているように仲間に見えることが大事で、リラックスによる最速、最効率持久ができない。

・日本型農村では、一枚の田んぼに無制限の労力を注入することが各人の責務だったから、それを格好でうまく示してる限りは、結果が大不作となっても周囲は許す(=だからリラックスできない)。ところが筋肉疲労を軽視してはいけないのだという練習理論が権威を持つと、今後は過剰マッサージの問題が出てきた。

・「人間のスポーツ選手のトレーニング法の発展には、軍馬や競走馬の調教で得られた知見が、直接的に貢献している。何世紀にもわたる馬の実験と観察なくして、今日のような超人的記録があり得るのかどうかは疑わしいのである」(32頁)

・大正5年から馬政官を拝命している石橋正人少将が、昭和6年に上梓した『競馬読本』には、「かつて3マイルレーサーに連日4マイル以上の走りこみをさせていたが、いまやそれも旧式トレーニングになった」とある。

・石橋によると、今は実距離以上の走りこみはさせず、むしろ1マイルの短い練習をさせ、決して馬を疲れ切るようなメニューは組まず、ようやく本番直前に実距離をレース形式で走らせて状態をピークに持っていく。しかも隔日に軽い調整運動だけの休養日をはさむようにする――という。人間のアスリートのトレーニング理論よりも30年先を行き、実績を残しているのだ。

・発汗ウェアを着てランニングする減量法も、19世紀から行われている競馬の調教の応用に他ならない。そもそもTrainingという英語自体が、馬を筆頭とする牽引畜類の調教を意味していることも、改めて言うまでもないだろう。

・イギリスでは、1904年に禁じられるまで動物レースに興奮剤を使うのは当たり前だった。アメリカでは1970年になって、競馬に薬品を使うことが制限されたらしい。つまり、1960年代に、馬にクスリを使わないようになると同時に、人間のアスリートには広くクスリが使われるようになったのだ。

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