2011年2月25日金曜日

片岡宏雄、「プロ野球スカウトの眼はすべて『節穴』である」:その2

「『おい、スカウトっちゅうのは儲かるらしいのぅ』」
(中略)
「あのひと言を野村流の挨拶と言う人もいると思うが、私はそんな言葉を平然と吐く品性の人間と仲よくできるほど器は大きくない。この日を境に、私は野村と一線を画すようになった」(152頁)

1989年のドラフト前のことだ。その後、古田敦也の獲得を巡るいざこざや、長島一茂の飼い殺し、松井秀喜選手への評価、伊藤智仁の使い潰しっぷりなど、野村野球の負の面を存分に書き出している。ただし、この辺の内容は、片岡が都合良く解釈をしている部分も少なからずあり(とりわけ古田の指名順位を巡る経緯は、当時の報道と大きく異なっている)、話半分で読んでおくべきだろう。

片岡がここまで野村を悪し様に書くのは、93年に危うくチームから放逐されそうになったことも大きかったようだ。

「九十三年夏、徳島に出張していた私にある球団幹部から電話が入った」
「『片岡、なにか野村のことを言ったか?』」
「『“やってられない”とか、しょっちゅう言ってますよ』」
「『いやな、お前が“うちは優勝しなくていい”と言っている、と。それで野村が“そんなことを言っている役員がいる球団では監督をやりたくない”と嘆いていると、サッチー(沙知代夫人)がオーナーに言ったらしいぞ』」
「瞬時にムカッと来て、啖呵を切った」
「『そうですか。じゃあ、いますぐ帰りましょうか』」
「そう言うと幹部は『いやいや……』といなし、電話を切った」(161~162頁)

結局、野村は片岡の追放に失敗。片岡は野村退任後もスカウト部長を勤めた。これ以前から野村との関係は修復不可能な状況だったというが、このことが野村に私怨を抱く決定打となったことは間違いなさそうだ。なお、当時の苦境を察した杉浦忠(立教大学の先輩で、片岡とバッテリーを組んでいた)は、片岡にこんな言葉をかけたという。

「『野村のことで悩んでいるらしいな。いいかい、野村とまともにつき合うな。つき合ったら腹が立つだけだぞ。だから何を言われても深く考えないようにしろ』」(162頁)

球界で誰も悪く言うことのなかった人格者の杉浦に、これだけのことを言わせるのだから、野村の人格が褒められたものでないことは確かといえそうだ。

このように手前は同書を「アンチ野村本」として読んだが、スカウト活動の実情や選手の見分け方について知らない人にとっては、「元中日の捕手にして、スカウト転進後は若松勉、高津臣吾、岩村明憲などを発掘した凄腕スカウト」が語る一流の野球本としても読めるはず。斎藤佑樹投手への評価も中々興味深いものなので、手に取る機会があれば、是非、一読されることをお薦めしたい。



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