2011年2月18日金曜日

私家版・兵頭二十八の読み方:その13

**「私家版・兵頭二十八の読み方」のエントリでは、日本で唯一の軍学者である兵頭二十八師の著作を、独断と偏見を持って紹介します**

『大日本国防史』の感想を書きます。

2度通読した後、元になった『二千五百年史』をナナメ読みし、さらに通読して得た感想を一言でいうと、「兵頭二十八著(竹越与三郎原案)の高校生向けの日本史教科書」です。ファーストインプレッションは、「軍師の手による『物語・天皇の歴史』」だったんですが、何度か読み進めていくなかで、大きく認識が変わっていきました。

教科書のように思えた一番の理由は、「横書きで、神代からの歴史を大雑把に振り返っている」という“体裁”にあります。実際、ほとんど図版と年表抜きの教科書ですから。ただ、こうした“体裁”とは別に、その内容が<マルクス史観>と<国粋史観>に囚われていない数少ない手頃な通史であることから、ある意味、戦後日本の歴史教育史上、初めて持ち得る「良質な教科書の叩き台」とも思いました。

現在、日本史教科書の主流は<マルクス史観>(バカウヨ曰く「自虐史観」)をベースに書かれたもので、そのカウンターパートには<国粋史観>(バカウヨの書く「新しい歴史教科書を作る会」)しかありません。細々したことを言うとキリがないので大雑把に言うと、どっちも自分の立場からの善悪二元論でしかモノを考えておらず、自らの信条に沿う都合の良いウソをつく――<マルクス史観>で言えば「“従軍慰安婦”の強制連行説」であり、<国粋史観>で言えば「南京大虐殺まぼろし説」――ことで正当化していることから、いずれも教科書として使うことはあまり適当ではないというのが手前の考えです。

もちろん歴史を論ずるのにイデオロギーを持ち込むのがダメ! と言いたいわけではありません。というか、神代から現代までの通史を書くのであれば何らかの指針は絶対に必要になるわけで、その指針にイデオロギーを使うことは極めて自然なことといえます。問題は、通史を纏め上げるための指針に使ったイデオロギーに振り回されてしまうことです。

この点から見ると、『大日本国防史』を貫くイデオロギーは帯表にある通り――

大和朝廷の成立以来、何度も繰り返された朝鮮半島からの侵略。歴代天皇はいかに危機を乗り越えたか? 二千六百年通史!

――というもので、敢えてキリの良いキーワードを設定するなら「天皇vs支那&半島史観」といった感じです。いわば、<マルクス史観>、<国粋史観>とは別の第三の史観によって書かれた通史だからこそ、旧来の史観のカウンターパートを意識する必要がなく、イデオロギーを正当化するためのウソもないわけです。この一点を見ただけでも、旧来の歴史観をベースに編まれた通史よりも読むべき価値はある! といえるのではないでしょうか。



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