2011年1月5日水曜日

トスカナ通信(EU3HttT日記):その6

現在のミッションである「ヴェネツィアとの建艦競争」が無理ゲーなので、これをサクっとあきらめ(国威-5)、次なるミッション「ノヴゴロドへの市場参入」を目指し、商人をノヴゴロドのCOTに派遣。年内に達成し50Dを得る。さて、次のミッションはというと「コンゴの民衆を改宗せよ」か。宣教師の派遣費用が35D、改宗確率10%/年ではなぁ……しばらく棚上げだ。

と、ミッション関係でコチョコチョやっているときに、またまたナポリがウルビーノに宣戦布告。いつものように近衛師団を派遣してちゃっちゃと会戦して、痛み分けで手打ちにする。ここまで来たら何というか風物詩という感じだな。ナポリにしてみてもミッションが「ウルビーノを地図上から排除せよ」だから、休戦期間が終わったら真っ先に攻めなきゃならないんだろうけど。

その後、1476年までは元首の逝去に伴う選挙があり、ラニエロ・サヴァノーラ(行政3、外交3、軍事7)を選んだり、ザヴォアとミラノの戦争に巻き込まれてサヴォアを膺懲したり、レオナルド・ダ・ヴィンチ(レベル6の科学者)が登場したので宮廷顧問に招聘したり、「ブレーメン会議」が起きて神聖ローマ帝国の行政機構が改革されたりと色々あったものの、概ね平穏に過ごしていたわけです。

が、1476年2月、突然ヴェネツィアが交易禁止令を通達。我が国の圧倒的な競争力への恐れ&軍事力への侮りから、かくなる事態へと発展したのだろうけど、トスカナもいまやイタリア屈指のパワーだからね。こんなことをされて黙っていたら武名が廃るってもんでしょ。というわけで、「貿易摩擦」を大義名分にヴェネツィアに対して宣戦布告。サシの勝負になったら勝ち目はないけど、大義はこっちにあるし、北イタリアでのヴェネツィアの突出振りに恐れを抱く国は多くあるわけでね。いくつかの国は味方してくれるでしょ。

結局、トスカナ―ヴェネツィア交易戦争は、トスカナ、ジェノバ、モデナ、ウルビーノVSヴェネツィア、スウェーデン、チュートン騎士団領、グルジアという構図に。兵力ではヴェネツィア連合が圧倒しているものの、スウェーデン、チュートン騎士団、グルジアが海を渡ってはるばる援軍に訪れる可能性はゼロに近いので、実質的には「トスカナ、ジェノバVSヴェネツィア」という構図といっていいんでしょう。これなら勝てる。勝てるぞぉ。

戦争は1年余に渡って続き、ヴェローナ、ブレシアを攻略した我が方が、ヴェネツィアに敗北を認めさせる形で和平を締結。これにより国威+10を得る。国家スライダーも動かせるようになったので、自由貿易に一つ振る。

1478年、ヴェネツィアとの戦争で大活躍したラニエロ・サヴァノーラが逝去。選挙では官僚系候補のジョヴァンニ・ナシーニ(行政6、外交3、軍事7)を選出、あわせて「上告禁止法」を可決する。上告禁止法とは「教皇の降格を宣言し、あらゆる宗教問題の最終決定権を王に移譲する」法律のこと。つまり、ヘンリー8世が自身の色恋沙汰を解決するために布告したアレですな。ゲーム的には、教皇を支持する近隣諸国(特に教皇領)との外交関係がガツンと悪化するものの暴動発生率はドカンと下がり、安定性費用修正も下がる施策だ。結局、ゲーム開始時から同盟を組んでいたウルビーノとの関係が断絶され、教皇領との関係も最悪の状態となってしまった。

こうしてウルビーノの後背に我が国がいないことを見て取ったナポリは、早速、ウルビーノに宣戦布告。ウルビーノが地図から消えるのは時間の問題だろう。しかし、問題は「その後」。何もナポリにアンコーナの地を支配させておく必要はない。イタリア建国のためには欠かせないプロヴィンスだし、ナポリは50年来の仇敵だ。だったらナポリがウルビーノを完全併合したタイミングで宣戦布告して、ウルビーノを攻略すればいいじゃん!

というわけで、ナポリがアンコーナを攻略している間に、陸軍の維持費を目一杯上げるとともに近衛師団をフェラーラからロマーニャに移動。臨戦態勢の下、ナポリがウルビーノを完全併合したタイミングで攻めかかるのを待つことにする。

そしてその時がやってきた。1479年6月、ナポリがウルビーノを併合した直後、我が国は大義名分なしにナポリに宣戦布告。電撃的にアンコーナを攻略――1年以上に渡った攻城戦の直後だったため守備兵は100人しかいなかった――し、すぐにアンコーナ割譲を条件に和平条約を締結する。

大義名分なく攻めかかった我が国の外交姿勢に対して、全ての同盟国が愛想を尽かし参戦拒否するも、ジェノバ、ミラノとはナポリとの和平直後に使者を派遣、同盟を締結する。やっぱりみんなオーストリアとヴェネツィアが怖いんだから、少々、褒められたものではない国であっても味方は欲しいんだろ? と札束で頬を引っぱたくようなマネをして同盟を締結したのかどうかはわからないけど、とにかく従前のような同盟体制は維持されることになった。1480年6月にはロマーニャが晴れて中核プロヴィンスへと昇格。これを見届けたところでゲームを終了する。

ゲームスタートから58年という中途半端なタイミングながらも、EU3HttT日記はここで打ち止め。いや、最後までやったら1822年まで掛かるんでね、適当なところで打ち止めにしとかないとキリがないし、いつまでもゲームに没頭していたらおまんまの食い上げになってしまうし。

それにしても初めてのイタリア半島は本当に面白かった。ここまでは本当に順調に進められたけど、一歩間違えれば滅亡していた可能性もあったし。陸のオーストリア、海のアラゴン、ヴェネツィアを横目で見ながら火事場泥棒でプロヴィンスを奪うのも中々オツだったし。CIV4や信長の野望とかなら、ここまでキッチリ地盤を固めてしまえば滅多に負けることはないんだけど、EU3は一手打ち間違うとすぐに負ける――①同盟相手が勝手に小国に戦争→こんがらがった独立保障&同盟が全部発動して世界大戦→旧大陸VSオレの構図になって滅亡。②規模を広げすぎて反乱祭り→徴兵し過ぎて財政破綻して滅亡etc――ので、最後の最後まで気が抜けないからなぁ(何も考えずに戦争できるのは第一帝政のフランスくらいかも)。

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