2011年1月3日月曜日

トスカナ通信(EU3HttT日記):その4

しばらくのあいだ、東アフリカの探検と欧州各地のCOTへの商人派遣に精を出す。このあいだにもイングランドが財政破綻したり、その弱り目をついてスコットランド、ブルゴーニュがイングランドに攻めかかったり、オーストリアがドイツ諸邦を併合したりと欧州情勢は動きまくっていたものの、イタリア半島はつかの間の平和を享受していた。

1454年にピエトロ・ウリヴェッリが逝去したので、選挙で官僚系候補のサルヴェストロ・テレーニ(行政6、外交3、軍事8)を選出。翌55年、貯めに貯めたお金で騎兵連隊を2つ新調する。そんな折、フランスが教皇領より独立した同盟国・アヴィニョンに宣戦布告するも、我らがトスカナはアヴィニョンからの援軍要請を無視! 許せ、許せ南仏の同胞よ。ここで共倒れになるわけにはいかんのだよ。というわけで、+25あった威信は0にダウンしてしまった。

そのためかリグーリア、ヴェネツィアといった競争の激しいCOTで商人の廃業が相次ぐ。やっぱり威信って競争力にダイレクトにかかってくるのねぇ。

で、失墜した権威を取り戻すべく、1456年3月、休戦期間が過ぎたコンゴに再度宣戦布告。大義名分は、より大きな威信が得られる「聖戦」(=彼らは罰当たりな異教徒なのです!)とする。9月には3つのプロヴィンスを全て占領。完全併合で和平を結ぶ。正直、反乱が怖いが、大して賠償金がとれない以上、ここではより多くの威信を稼ぐのが吉だろう。

このコンゴ遠征に司令官として参加したサルヴェストロ・テレーニは、アフリカの過酷な自然環境に参ってしまったためかアッサリと逝去。またもや選挙が行われ、官僚系候補のコンスタンティノ・ポンコンパーニ(行政6、外交8、軍事4)を選出する。あわせて大規模な反乱に備え、遠征軍(歩兵連隊×4)をそのまま「コンゴ師団」としてロアンゴに駐留させる。兵種が「マウリッツ歩兵」まで進化していれば、反乱軍が2~3万人規模でも全然怖くないけど、「メンアットアームズ」だと1万以上の反乱軍を相手にできないからなぁ……といって、これ以上の兵力をアフリカに貼り付けられるほどの余裕はないし。

あと、プロヴィンスが3つ増えたので、陸軍の扶養限界も7連隊から12連隊に拡大したことも大きい。といってもイタリア半島であれば、サシで負けない程度のパワーであって、2対1とかになったら即敗北するレベル。しかも、アフリカに4個連隊を駐留させているので、欧州では多くても8個連隊しか動かせない。まだまだ自ら主導権を握って暴れまわるというわけにはいかないか。

1457年、統治レベルが10にアップ。さすが大学×3の威力は凄い。これで「測量単位の統一」が可能となるので、政務官5人を使って早速実施。10月にはカルロ・ブティがついにインドを発見した。しかし、いまの海軍(キャラック×4、コグ×4)ではインドに手を出しても維持できないだろうなぁ。国家スライダーも動かせるようになったので、イチかバチかで中央集権に1つ振る。これでイタリアで反乱が起きたら……もうダメかもわからんね。

と、思っていたらアフリカで大反乱! マヨンベで農民×6、ロアンゴでナショナリスト×2が蜂起した。鎮圧までてこずったものの、半年余で平定することに成功。アフリカのプロヴィンスには「砦」がないから、反乱軍が進軍したら攻城戦にならず、ダイレクトに占領されるからなぁ。といっても、「砦」をつくるには34D(現時点における年頭収入に等しい大金!)ものお金がかかるし。

1460年4月、サヴォイと戦争中のジェノバに同盟を持ちかけ、折りよく合意。翌年、ジェノバ、ヴェネツィア連合軍にボコられ、瀕死のサヴォイに「同盟」を大義名分として宣戦布告。ニースを占領。12月にはシエナ、教皇領、マントヴァとの同盟破棄を条件とする和平を飲ませる。これでシエナ攻略に向けての障害が一つ減った。そろそろイタリア半島でも勢力を拡大したいなぁ。

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