2011年1月19日水曜日

落合博満、「なんと言われようとオレ流さ」:その4

●第三章:オレの打撃の秘密を公開しよう

 今年(昭和六十一年)西武に入った清原(和博)、あれは大変なバッターだ。
 あの構え方が実にいい。彼に比べたら、オレの高校時代の構えなんかお粗末なものだ。あれほどゆったりしたラクな構えができる選手は、今のプロ野球にもひと握りしかいないね。
(中略)
 今の清原の構えなら、左肩が突っ込むことも開くこともまずないと思う。PL時代に自分で編み出したのか、それとも誰かに教わったのか? そんなことは知らないけれど、いずれにしてもオーソドックスないい打ち方をしている。
(84p)

 やっぱり自分で考えたものに肉付けしていって、自分で対応の仕方を覚えないと、この世界で生き残れない。
 極端なことを言うと、オレなんか、ピッチャーが右か左かによって構え方が変わるときもある。三冠王を取った去年(昭和六十年)は特に変わっていたと思う。
(87p)

 コーヒーのカップを持つのだって、人それぞれ。カップの柄を三本の指で持つ人もいるし、四本の指で持つ人もいる。なかには、柄を持たずにカップの底を手のひらで持ち上げる人もいる。
「どうやって持とうか?」と考えながら持つ人はいないよね。これは自然に持つものであって、どう持ってもかまわない。
 バッティングも同じことで、早い話が、来たタマを打ちゃあいいの。
(88p)

 昭和五十八年限りでロッテを退団されたキャッチャーの土肥健二さんが、その人だ。
 入団三年目(昭和五十六年)の鹿児島キャンプ。土肥さんが偶然、オレの隣で特打ちをやっていた。それを見て、
「はあ、うまいこと打つな。あれをまねできたら……。ヨーシ、オレもまねしてみよう」と思ったのがそもそものはじまりだ。
(中略)
 こねたりしないで、バットを素直にそのまま送り出すという感じなのだ。バットを放り投げるような感じでね。来たボールの軌道にうまいことからだを合わせて、そこからバットと腕のしなりを利用して払ってやるわけで、それがなんともうまかった。
(90p)

 左バッターはヒジが中に入ってもいいが、残念ながらオレは右利き。おまけに、肝心なそのヒジが、どうしても中へ中へ入ろうとする持病の持ち主だ。
 だから、どうやったら右のヒジが中に入らないでバットを振り出せるかということをあれこれ考えた。
 それが“神主打法”とかなんとか言われている構え方だ。バットを正眼に構えるというか、胸の前で倒すように突き出すと、ヒジは中に入りにくいはず。ロッテのユニホームの側面にある縦のストライプより後ろにヒジがいかないようにするんだ。
(94p)

 今のプロ野球界が変化球全盛になったのにはいきさつがある。
 ピッチャーの練習量には限度があるのに対し、野手のほうは無限と言ってもいい。素振りは千回でも二千回でもできるし、マシンを使えば、ボールだっていくらでも打てる。おまけに、真っ直ぐ(ストレート)が速いピッチャーが少なくなった。
 そうすると、ピッチャーは球種を増やして変化球で勝負するしかなくなる。
(中略)
 今は変化球の中でも特にスライダー全盛。当世、どんなピッチャーでもスライダーを投げてくるから、引っ張りばっかりのバッターではついていけない。どこにでも打ち分けられないといい打率が残せなくなる。
 インサイドのボールだけに的をしぼるなどという野球ができなくなった。
 ロッテ入団時、山内監督の話は勉強になったけれど、そのままではオレには向かなかった一因もその辺にあると思う。要するに、昔はスライダー・ピッチャーが少なかったということだ。
(98~99p)

 バッティングピッチャーは別として、ピッチャーとバッターは相反する立場だから、もうだまし合いするしかない。これがお互いの仕事だ。
 となると当然、バッターはピッチャーを信用しちゃいかん、ということになる。信用して“ヤマ張り”なんかすると、ストライクでもボールでも全部打ちにいくハメになる。
 オレの場合、ヤマは全然張らない。真っ直ぐしか待たないもの。オレは打つポイントがふつうよりキャッチャーに近いから、変化球を待っているところへ真っ直ぐを投げられたら打てない。真っ直ぐを待っていて変化球なら、遅い分どうにかなるけどね。
(104p)

 そして、オレにとっていちばん手ごわいピッチャーを具体的に挙げるとなると、なんといっても東尾(西武)さんだ。
“投球術”というものを知り尽くしている。打者心理と言いかえてもいい。
(中略)
 それと、昔、東尾さんからデッドボールをくったのが、たまたま頭だったせいもあると思う。確か一度目の三冠王を取った昭和五十七年七月七日だ。生まれてこのかた、救急車のお世話になったのは、あのときだけだものね。
(113p)

 同じ欠点でも原因がひとりひとり違う。だから、結果的に他人の分析も自分にとってプラスになるのだ。
 たとえば、原(辰徳・巨人)の場合、簡単に言うと、突っ込みすぎ。からだがピッチャーのほうに出ていってしまう。
 あれだと、ボールを引っぱたくことはできても、バットに乗せて運ぶことはできない。後ろにタメがないから、全身で突っ込み、体重がそっくり前に行ってしまう。
 あれはもうクセだ。直す方法はいくらでもある。肩、腰、ヒザ、この肝心かなめのところをどこか一ヵ所でも我慢すればね。
(125p)

 むずかしいことは抜きにして、いまバットのスピードでは誰が速いか? 右で中日の宇野、左では南海の門田さんあたりが一番。日本で王さんの五十五本を破れる可能性を持っているのは? 多分、宇野か田代(大洋)のどっちかだ。
 そして、打率四割を打てるのはオレ。そう口にするのは、この青写真があるからだ。
(134p)

「これを教えたら最後、アイツ、メチャメチャ、自分のライバルになるんじゃないか」という発想は、オレには全然ない。別に今の考え方がオレの財産だとは思っていないからね。
 たとえば、誰かがオレのやり方を完璧にマスターしたとする。それでも、怖いとは思わない。むしろ歓迎だ。結局、自分がうまくなろうと思ったら、全体のレベルを上げるのがいちばんいいんだから。
(141~142p)

――連続写真を見せながらの“神主打法”解説と、調整スケジュールのパートは割愛。なお、同書の打撃論を読んだあとに、現時点における決定版である『落合博満の超野球学1、2』を読むと、15年経って明らかに進歩したことが良く理解できる。





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