2010年9月11日土曜日

山本昌、「133キロ怪速球」:その3

古手のOBの多くは「昔の野球の方がレベルが高かった」と言いたがるものだが、すでに中堅のOBと同じくらいの年齢である山本昌投手は、こうした意見には明確に異を唱えている。

「『体が強くて壊れない人』だけが勝ち残ったのが、昔の野球界。今は『みんなを救える時代』である。『壊す確率』は間違いなく今の方が少ない。ぶっ倒れるまで走っていた、それで壊れるのは弱いヤツという時代から、ゲームでの動きを意識したトレーニングを徹底している」
「そこは一長一短なのである。『強くする』ことだけを目的にすれば、昔の方法が優れている。だけど、度を超すと故障につながる。そのさじ加減が、昔は誰もわからなかったし、わかろうともしていなかった」(184~185頁)

このように昔の野球と今の野球の比較や、自らの経験に照らして語る野球論は類書にはない面白さがある。一流と二流のレベルの違いに関する山本昌投手の見解は以下の通りだ。

「プロ野球に入ってくるような選手なら、まず『絶好調ならみんな必ず勝てる』といい切れる。ファームのローテーションに入っている選手なら、運不運は抜きにすればまず白星を手に入れられるだろう。だけど、真理はこうだ」
「『一軍と二軍の決定的な違いは『平均点』の差にある』」
「たとえば、川上憲伸は悪くても勝つ。それが『平均点』。好調時に勝つのはいわば当たり前ということだ」
「理論という名のよりどころをもった選手、打者の確率をほんのわずかでも下げられる選手、不利なカウントでも勝負できる球種をもった選手。これが平均点が高いということだ。100球のうち50球ストライクを投げられる投手と、60球の投手ではやはり技術に差がある」(216~217頁)

言われてみれば当たり前のことであり、ある程度プロ野球を見てきたファンであれば何となく承知していることでもあろう。しかし、誰よりも長く現役生活を送ってきた選手が敢えて断言している事実は重いものだ。しばらく連敗が続いたチームのコーチの中には、「うちにはイキの良いピッチャーがいない」などと平気で言う、まるで無責任なファンのような者もいるが、こうした愚痴がいかに的外れであることか。

このような無責任な愚痴への回答は、山本昌投手の言葉に従うなら「ファームでローテを張っているピッチャーの実力をフルに発揮させる環境を整える」「『平均点』こそすぐに向上できなくても、調子の良し悪しを見極めて一軍に上げる」だけで良いということだ。えこひいきをせずまじめに仕事に取り組んでいれば、こうしたことを実行するのはそこまで難しいものではないのではないか? もしできない――20~30人の集団を率いるリーダーシップがないか、投手の調子を見る眼がない――のであれば、それは単に無能ということだろう。

このほかにも「とても勝てないライバル」だった近藤真一と「健全なライバル」だった今中慎二との関係や、涙なしにはアイク生原との邂逅と別れ、10.8の記憶――と、新書ながら読みどころの多い本。山本昌投手のことをまったく知らない人にはもちろんのこと、山本昌投手に関する“基礎教養”のある人にも、それを再確認する意味で読むことをオススメしたい。

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