2010年4月25日日曜日

*読書メモ:怪しい科学の見抜きかた

「もっともよく癒されるものは、もっともよく信じるものである」。クラウディウス・ガレヌスの言葉。

1950年に行なわれたある実験では、吐き気を訴える妊婦に、医師が「それを抑えるための薬」といって嘔吐を誘発する薬を投与した。しかし、それでも嘔吐を抑制する結果を出した。倫理的な問題と方法論に疑問があるため、現在では再現できない実験だが。

プラセボ効果のかなりの部分は、単純に時間につれて症状が治まることと関係している。

痛みを訴える患者は、その痛みが最悪のときに診察を受けることが多い。そのときに間髪入れず治療をすれば、その治療がどんなもの(手かざしでも祈りでも)でも効果が出る可能性が高い。最悪だった痛みが時間につれて治まるためだ。

こうした「平均への回帰」は、あらゆる局面で起きる。多くの症状では、どこかの平均値はさんで状態が好悪するものだ。

扁桃腺切除、ヒステリー治療のための子宮摘出、動脈血栓を除去するレーザー外科処置、いずれもプラセボ手術と効果は変わりない。

精神病治療ではプラセボが絶大な効果を発揮する。向精神薬はプラセボ薬よりも効果があるが、それでも精々1.2~1.5倍程度だ。となれば、2ドル47セントの実薬と、0.11セントのプラセボ薬との費用対効果は、どのように合理化できるのだろうか?

能動的プラセボ(アクティブ・プラセボ)とは、実薬の副作用を模倣したプラセボのこと。治験の盲検状態を確実にするための工夫だ。

製薬企業にとって、重大な副作用は避けねばならない。しかし、穏やかな副作用はその限りではない。簡単に見極められるが深刻ではない副作用は、非常に大きな経済的価値がある。治験を非盲検的なものにする大きな要因となり、その薬が実際以上に効果的であるように見せかけることができるからだ。

治験において参加者に容易に識別させる副作用として望ましいのは「口腔乾燥症(ドライマウス)」だろう。

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