2010年4月20日火曜日

江川卓が美化した思い出、「巨人―阪神論」:その2

最新刊である『巨人―阪神論』(どうでもいいことだけど、“はんしんろん”ってそのまま変換したら、やっぱり“汎神論”になるよなぁ)と、22年前の自伝『たかが江川されど江川』で、言ってることが全然違う件について。

3つのエピソードの語り口は、いずれも見解の違いというレベルではなく、事実関係ベースで話が違っていることがポイントだ。ここまであからさまに違うので、「もしかしたら江川の記憶違いか?」と考えたくもなるが、以下のエピソードを見る限りは、記憶違いともいえなさそうなのだ。

D:公式戦デビューでの山本和行との対戦

「あれは昭和五十四年六月二日、プロ入りデビュー試合の対阪神戦だった。僕の二百勝への自信が、それもマウンドの上でではなく、バッター・ボックスの中で音をたててくずれ落ちたのだ」
「山本和行さんの投げた一球目が、ひょいとストレートに来た。なんだ、これは。ヒョロヒョロ球だな。これで通用するんなら、俺は三百勝だってかたいぞ。――見逃しのストライクをとられたものの、僕は内心ほくそえんだ。バッティングにもそれなりの自信があった僕は、本気でホームランを狙った」
「そして二球目。同じような球が来た。フルスイング。その直後自分の目を疑った。ボールが忽然と消えてしまったのだ。そんなバカなことがあるはずがない!?」
「三球目もストレートだった。よし、今度こそもらった、と思った瞬間、ボールはまたしても消えた。結果は三球三振。三打席全部三振だった」
「種を明かせば、このとき山本さんが投げていたのはフォーク・ボールだ。が、僕の足は震えた。それまで、あれほど落差のあるフォークに出会ったためしのない僕にとって、それは“魔球”としか思えなかった。マウンドから自信を持って投げた球をホームランされるのより、ずっと大きなショックが僕を襲った」(たかが江川されど江川:120~121頁)

「で、僕は、バッティングに凄く自信があったんですよ。東京六大学でも結構打っていた。それで初球にヤマカズさんがピュッと投げたんですよ。あの人はそんなに速いピッチャーじゃないでしょ」
「ピューッと来て、ど真ん中にストレートがポンと入ったのね。本当に『ポン』なんですよ。『パシッ』じゃないですよ。それを見た時に、『プロってこんなレベルか』と思ったんです」
「こんなレベルのボールで勝っているの? と本当に思った。こんなんでいいの? とまで思った。正直、『オレはプロで30勝できるな』と思った。これは今だから言えるんだけどね」
「初球を見て30は勝てるなと思っていたら、2球目に同じボールが来たの。ピューッとね。僕の感覚では完全にホームランボールですよ。バッティングに自信があったからフルスイングしたら、ボールがパッと消えたの。『あれ?』と思った。『なんでミスったんだろう?』と思ったの。『最近バットを振っていないから打ち損じたのかな』と思った。気持ちを引き締めていたら、3球目に、また同じボールが来たの。ホームランボールだよね」
「そう。パッと消えたの。フォークだよね。たぶん、三球三振だと思うんですけど、真っ青になりましたよ」
「その落ち方と消え方。本当にそれまでの野球人生の中で見たことがなかった。僕は、あの試合でラインバックに打たれはしたけれど、自分のピッチングでプロのレベルにびっくりしたんじゃなくて、バッターボックスに入って『これは、やばいぞ。プロはこんな高いレベルなのか』と思ったんですよ」(巨人―阪神論:166~168頁)

少し長い引用だが、よく読み比べてもらいたい。この山本和行との初対戦のエピソードについては、細部に至るまで驚くほど正確に一致しているのだ。

それだけ印象深かったから、細かく覚えていたとも言えるが、前述の3つのエピソードだって、このエピソードに勝るとも劣らないほど印象深いものだ。また、他のOBの自伝などを読む限り、一流選手のほとんどは試合や展開を左右した勝負の局面は驚くほど正確に覚えている。そのくらいの記憶力がなければ一流にはなれないのだろう。江川が、記憶力や頭の良さで他のOBに劣るとは考えにくい。

そんなことから手前は、このエピソードだけ正確に語っていることについて、「打者江川が衝撃を受けたハナシであって、投手江川の沽券に関わるハナシではないから、“加工”せずそのまま話している」と見ている。

ではなぜ、江川は昔の思い出を美化するのか?

「発刊当時は、2.5枚目なキャラを意識していたけど、時代が変わって2枚目なキャラに作り直したんじゃね?」
「いや、年をとってカドが取れたのかも。案外、最新刊の話の方が真実で、昔はわざと2.5枚目のキャラを演じてたんだって」
「ということは2.5枚目キャラで話していた昔のエピソードを、ここにきて2枚目キャラで話しなおしているってことか」
「そもそも何で2.5枚目を演じていたのかね?」
「22年前はなんとなく脱スポコンというか、“新人類”が流行った頃だし、そういう風潮に合わせていたんじゃね」
「ああ、『タッチ』が流行って『巨人の星』が本格的にバカにされ始めた頃だなぁ」
「最近は2枚目でも全然OKでしょ。だって25年前は『練習なんてしねぇ』って言ってた落合が、『誰よりも練習しました』なんて言う時代なんだし」

つまり、『たかが江川されど江川』の頃は、その時代の空気にあわせて「剛球投手だけど少し抜けたところのあるキャラ(2.5枚目)」を演じていたけど、最近はそういうキャラを演じる必要がなくなったので、本来の「ストレートの勝負にこだわった誇り高い投手キャラ(2枚目)」として語りなおしているのではないか――というのが、江川が想い出を美化している(ように見える)ことに対する、手前の考えだ。

ところで『たかが江川されど江川』は、バブル最盛期に発刊されている(単行本は88年。文庫は91年)。江川が、青年実業家としてブイブイ言わせていた頃だ。文庫の最後の章(延長戦「たかが、されど」再び)では、本をまとめたスポーツ紙記者3人と対談しているが、そこでの発言を読むと、「青年実業家として成功しつつあるオレ」というキャラ設定の江川の言葉一つ一つが上滑りしていて……何というか「イタタタタ」という気持ちになる。あまり紋切り型を使いたくはないが、江川は、昔から今に至るまで、いわゆる“劇場型”のキャラクターであり続けているのではないだろうか。



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