2010年3月18日木曜日

ソビエトロシアでは統計が打率を作り出す!:その2

グルードは、1880年代から1980年代にかけてのレギュラー選手全員に関する全変異の指標(標準偏差)も割り出した。ここでグラフを紹介できないのが心苦しいが、結果は「変異が着実に凝集していること」「1940年代以降は横ばいに近い状態で凝集していること」だった。

この「変異の凝集」と「1940年代以降の横ばいに近い状態の凝集」は何を意味するのか?

「変異の凝集」は、選手間の実力が均衡していることを意味する。1割打者と4割打者が点在する過去から、2割6分の打者と3割3分の打者が割拠する現代へと移り変わってきたということ。つまり、全体のレベルが向上してきたということだ。

「1940年代以降の横ばいに近い状態の凝集」は、その時点で競技レベルの劇的向上という流れが終わり、全体のレベルが高値安定していることを意味する。マラソンや短距離、水泳などの記録の変遷も同じようなトレンドを辿る――マラソンでは1908年にヘイズが2時間55分を記録した後、1925年にはミケルセンが2時間半の壁を突破。短い期間で20分以上記録を縮めたが、1970年代以降は40年かけて5分強しか縮められていない――ことを見てもわかるように、競技レベルが一定レベルに近づくと、変異が凝集する幅も少なくなるのだ。

ここで言う一定レベルとは、いうまでもなく「人間の限界」をさす。

「誰も、順調な記録向上を示す初期の曲線が永遠に当てはまると主張したりはしない。永遠に当てはまろうものなら、いずれは1マイルを零秒フラットで(最後はマイナス秒で)走る選手が出現し、棒高跳びの選手はスーパーマンよろしく、高いビルを一っ跳びするだろう」(129頁)

このことを打率のグラフに当てはめると、『釣鐘状分布』の右裾に壁(人間の限界)があるということになる。

さて、ここまでは「統計上、年を追うごとに変異が凝集する=近年になって四割打者が消えている」ということが証明されただけであって、なぜ、四割打者が減ったのかを説明しているわけではない。ロシア的倒置法のように、「ソビエトロシアでは統計が打率を作り出す!」ということであれば話が早いが、統計だけで何かを説明できるものではないのだ。
(つづく)

追記:3/17付の放送形式で兵頭二十八師より思いがけない御礼をいただきました。いやはや大変恐縮です。

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